検針員として街を見守る元プロ野球選手 金田政彦さんのセカンドチャレンジ

2019.07.12

検針員として街を見守る元プロ野球選手
金田政彦さんのセカンドチャレンジ

取材が始まる前には毎回、聞き手として今回お会いする人はどんな人だろうかと緊張感をもちます。「はじめまして!よろしくお願いします!」という爽やかなあいさつで、ピンと張った空気を一瞬で和ませてくれたのが、今回ご紹介する金田政彦さんです。現在、北九州市小倉北区の西部ガス・カスタマーサービス株式会社北九州事業部に所属し、検針員として勤務する彼。実は、元プロ野球選手という異色の経歴の持ち主です。そんな金田さんの第二の挑戦について伺いました。

金田さんは2016年に入社しました。

ドラフト2位でオリックスに入団。現役時代の華々しい実績

幼い頃から父親とほぼ毎日キャッチボールをしていたという金田さん。「父は『巨人の星』の星一徹みたいな人で、野球に関してそれは厳しかったですね」と振り返ります。父親と二人三脚でトレーニングを続けながら、小学4年生で野球部に入部。左利きの投手として活躍します。中学、高校でも野球部に入り、当時の監督の勧めで日産自動車九州硬式野球部へ入部しました。社会人野球を経て、1992年ドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに入団。ついにプロ野球選手として歩み始めます。

1995年にはウエスタン・リーグで最多勝、1998年には4勝負けなしで月間MVP獲得。
1996年のペナントレース、2連覇のかかった試合では、イチローのさよならヒットで優勝を果たします。そのときの勝利投手を務めたのが金田さんでした。そして、2002年にオリックスで2度目のオールスターゲームに出場し、その年の最優秀防御率のタイトルも獲得しています。ここまで聞くだけでも、華々しい経歴です。

2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスに一期生として入団し、翌年36歳で現役を引退します。こうして金田さんは14年にわたるプロ野球選手としての人生に幕を下ろしました。

現役時代の金田さん。身長177cm、体重65kgと細身でありながら、サウスポーの投手として活躍してきました。

プロから転身。異分野へ飛び込んだ理由とは?

現役を退いた金田さんは、これまで築いてきた"人との縁"で、大手総合スポーツ用品メーカーに入社します。ここでは営業職として慣れないデスクワークに奔走しながら、プライベートで少年野球チームのコーチとしてのキャリアもスタート。金田さんがコーチを務める少年野球チームは、金田さん就任後、めきめきと成績を伸ばします。2015年には、県内の大会で3位入賞を果たすほどに成長。さらに、2017年には全国規模の選抜大会で、金田さんが監督を務め、優勝を手にしました。「自分の人生は、野球抜きでは語れません。だから野球に恩返しがしたい。未来ある子どもたちに野球の楽しさを伝えていくことが、これからの自分にできることだと思いました」。

その頃、金田さんは仕事とコーチの二足のわらじを履き、多忙な日々を送っていました。少年野球チームの練習や試合は週末に行われることがほとんど。しかし、営業職では土日に出勤することも多く、思うようにチームを見ることができません。そこで、一念発起して転職を決意。すると、再び"人との縁"で検針員という仕事を紹介され、仕事とコーチを両立できる現職に就くことになりました。

入社して2年後、ついに金田さん率いる北九州選抜少年野球チームは、全国規模の少年野球大会(今泉杯)で優勝を果たします。

北九州の少年野球チーム『中井フェニックス』の集合写真。一番右がコーチを務める金田さんです。

第二の人生で臨んだ2つの挑戦

ひとつは、少年野球チームでコーチとして子どもたちを率いていくという挑戦。もうひとつは、検針という新たな仕事での挑戦でした。以前はガスの種類すらわからなかったという金田さん。入社後、検針という仕事の奥深さを知ります。

軒先のガスメーターの数字を確認し、その数値をハンディターミナル(データ収集用の携帯端末)に打ち込む作業。各家庭やビルなど併せて1日300〜500軒という膨大な数をこなします。「1日に4時間ほど歩き、一軒一軒、多くて7桁の数字を確認します。検針というと数字に特化した仕事かと思いきや、それだけではありません。もうひとつ大事な役目が"保安"です」。訪問先でガス漏れがないかをチェックし、検針する数字を見て、いつもと大きく違っていたら家の中で何か異変がないかチャイムを鳴らして直接お客様に確認することもあると言います。訪ねる先で地域の人が安全に暮らしているか見守る役割も果たしているのです。

いつもお客様に寄り添っているのが検針員という仕事。金田さんは、「前職のスポーツメーカーでもベースボール担当だったので、ずっと野球の話ばかり。しかし、この仕事について野球以外の話をするのがとても新鮮でした。『いつもありがとう』と言ってお茶を出してくれる方もいらっしゃいます。地域の方々とコミュニケーションをとれることが大きなやりがいです」と話します。そんな金田さんが、新たな挑戦をするときや、困難にぶつかったときにいつも思い出すことがあるそうです。それは、現役時代にお世話になった仰木彬監督の言葉でした。

西部ガスは北九州市と連携した地域見守り活動にも参加しています。その印である『命をつなぐネットワーク』というバッジをつけており、今年3月時点で北九州東事業所に所属していた検針員は全員AED(自動体外式除細動器)の研修を受講済み。

仰木彬監督が教えてくれた『メリハリ』のある生き方

「現役時代、ずっと目をかけてくれたのが仰木監督でした。他の選手からも『金田が一番仰木さんを怒らせてきたよね』と言われるほど(笑)。何よりメリハリが大事だということを、身をもって教えてくれた人です。『遊ぶときは遊ぶ!仕事するときは仕事する!』と言われていました。試合が終わって一番に飲みに出るのが仰木監督で、外出から一番遅く帰ってくるのも仰木監督(笑)。そしてグラウンドにあがるとビシッと全体を引き締める。どんな困難にぶつかっても、仰木さんの姿を思い浮かべると集中力が高まり、乗り越えていけますね」。

"メリハリ"をつけて集中し、切り替えていく。そうした教訓を胸に刻んだ金田さんは、仕事でも功績を残します。社内で実施される表彰式で、事業部の推薦を受け、その年に活躍した社員に贈られる西部ガスグループ賞を受賞。新たな仕事でも、少年野球チームのコーチでも、100%の力を注ぐ背景には、仰木監督の教えがありました。

「野球と同じく、仕事でも一人一人の良いところを伸ばして働くことが大事だと思っています」と話す金田さん。

一見違うことでも繋がっているし、失敗は悪いことではない

「現役時代の体力づくりは、1日2万歩ほど歩き回る検針という今の仕事の糧になっています。そして、この仕事で足腰を鍛えられることは、少年野球チームでのトレーニング代わりになっています。一見違うことでもすべて繋がっているんですね」と金田さん。

また、現役時代の華々しい実績の影には、数多くの挫折があったと金田さんは教えてくれました。社会人野球時代の厳しい下積み生活や、成績の伸び悩み...。「自分は今までたくさんの失敗がありますよ。でも、失敗して立ち上がって...を繰り返して進んでいると自信にもなります。また立ち上がれたなって思えるんです。その経験を通して人に喝を入れてもらったり、応援してもらったりしながら、"人との縁"も生まれます。そうして今の仕事にも繋がっていますし、周りの仲間にも恵まれました。居心地のいい職場があり、プライベートも充実させられる。ここは、私の第二の人生を切り開いた場所だと思っています」。

金田さんの直属の上司である白石係長とともに。職場で楽しそうに話す2人をみると、"居心地の良さ"というのも納得でした。

西部ガス・カスタマーサービス株式会社 北九州東事業所

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