地域の

2020.06.17

地域の"住"を支える責任と喜びを。まちの工務店の大きな決意

人々の暮らしに欠かせない「衣・食・住」において、快適な「住まい」を創造する建設業の立場から、創業以来70年を地域と共に歩んできた株式会社吉川工務店。2019年には西部ガスグループの一員となり、新たなスタートを切ったばかりです。しかしその歴史を振り返ってみれば、決して平坦とは言えない波乱の道のりでした。父を継いで社長となり、会社を守り育ててきた現会長・吉川啓二さんの人生は、まさに決断の連続。これまでのお話を伺いながら、社員として現場を支える小林祐毅さんを交えて吉川工務店の原動力を探っていきます。

長年にわたる建設事業の振興の貢献を評価され、2019年には国土交通大臣表彰を受けた吉川さん

会社を背負う、厳しい父の姿

「幼い頃から、父の印象はあくまで会社の社長でした。遊んでもらった記憶がなく、親子らしい思い出もほとんどないんです」。創業者である父親についてこう語る吉川啓二さんは、現在65歳。大学を卒業してすぐ吉川工務店に入社しましたが、それまでは建築に興味があるわけでもなく、後を継ぐことも特に考えていなかったそう。しかし21歳の時、転機が訪れます。
「突然父が倒れて、救急車で運ばれたんです。その姿を見た時、『もうこれ以上の自分の好き勝手ばかりではいけない』と思い立ち、母と相談して父の元で働こうと決めました」

意欲を胸に、新人として現場へ。しかし、待っていたのは「社長の息子」という周囲の目線でした。父の偵察ではないかと疑われ、なかなか口をきいてもらえず仕事も振ってもらえないという状況が、1年近くは続いたといいます。それでも黙々と目の前の仕事に集中して打ち込むことで、次第にみんなの理解を得ることができ、同時に建築の仕事にも魅せられていきました。
「自分が引いた図面を職人さんが形にしてくれて、少しずつ建物が出来上がっていくのは実に感動でした。建物は半永久的に残るものですし、真剣に取り組まなければという思いも芽生え、責任の重さを実感しました」

看板を下ろすことも考えた、存続の危機

1994年、40歳の若さで代表取締役に就任。地場ゼネコンの一翼を担う会社の舵取り役として、順調に歩みを進めていた吉川さんですが、2008年、その状況が一転します。世界規模の経済危機「リーマンショック」の到来。金融機関、不動産、建築業界などが次々と打撃を受ける中、吉川工務店の大手得意先も倒産に追い込まれるという事態に。その連鎖で会社は経営破綻の危機に直面し、眠れないどころか、食事も喉を通らない日々...吉川さんは人生最大の窮地に立たされました。

厳しい局面の中であらゆる策を尽くしつつ、時には「会社を畳むか...」という考えが脳裏をよぎることもありました。その打つ手もなくなった時、悩みに悩んだ末、希望退職者を募るという苦渋の決断をせざるを得なかったそうです。
「本当に辛かったです。でも、このままいけば全員分の給料を払い続けることができず、間違いなく倒産してしまう。みんなにも家族がありますし、人生を選択してもらうしかありませんでした」

会社はどうにか持ちこたえましたが、連鎖倒産の風評被害はなかなか消えず、その後もしばらくは噂を打ち消すべく奔走した吉川さん。建設業は景気に左右されやすいという実情を踏まえ、会社を支える副軸として太陽光発電や通販事業を手掛けるなど、今後への策も打っていきました。
数年かけて再び会社は軌道にのり、業績も急ピッチで上昇。復活の兆しが見えた時、ようやく吉川さんに笑顔が戻ったのです。

「父親からは『勉強になったな』なんて言われましたが、そんな簡単な問題ではなかったですよ(笑)」

真っ直ぐ、まじめに。チームワークで技術を継承

劇的再生を後押ししたのは、周囲から寄せられた信頼の声。実は経営危機の時も、長く付き合いのあるお客様からたくさんの励ましや応援が届いていました。それは、先代から伝わる「真っ直ぐに、まじめにお客様と向き合い、共にいいものを造っていく」という姿勢が築いてきたものにほかなりません。

信頼は、技術力の高さにも寄せられます。「会社の規模は大きくなくても、技術面では絶対ナンバーワンになる」という吉川さんの目標が、達成されていることの表れです。今年で入社8年目となる小林祐毅さんも、これまで多くの先輩からたくさんの知識や技術を受け継いできました。
「現場では目で見て覚えることも多いですし、質問すればみんなが丁寧に教えてくれます。私も後輩に対して、どうすれば一番分かりやすく伝わるかを心がけていますし、得てきた技術を社員全員で共有できるよう努めています」

工務部に所属し、現場所長の補佐役として工事主任を務める小林さん

小林さんは、社内の良好なコミュニケーションや風通しの良さも、吉川工務店の魅力だと言います。それを深く実感したのは、入社して2年目のこと。
「大きな台風が来て、私が担当する建設中のマンションの外部の養生シートが全部剥がれてしまったことがあるんです。もう夜も遅かったのですが、ほかの現場で仕事を終えた社員たちが次々と駆け付けてくれて、みんなで朝までかかって作業をして乗り切りました。仲間のありがたさやチームワークに心から感謝した思い出です」

「吉川会長は、風通しのいい環境を率先してつくってくれた存在です。社員が不安に感じていることがあると、それを察知してアンケートを取ってくれたり、意見を取り入れてくれたり。会食の席でも自らテーブルを回って、社員1人ひとりに話しかけてくれます。厳しくも優しくて、尊敬できる方ですね」

人材への投資、利益の還元は惜しまないのが同社の方針。 「実は社員旅行は、毎年海外なんです。私もたくさんの国に行かせてもらいました!」。

「社員と会社を守りたい」が故の、社長の英断

父親の入院をきっかけに人生の選択をした吉川さんでしたが、奇しくも自らが同じ理由で、またも大きな決断をすることになります。59歳の時に癌を患い、入退院を繰り返す中で、心に浮かんできたのが後継者の問題でした。
「それまでは『自分はまだ大丈夫』などと思っていたのですが、いざ病気に直面して、今後を真剣に考えるようになりました。昔なら会社は家督で継ぐのが慣例でしたが、現代社会の構造を考えたら、もうそういう時代ではない。社内には優れた人材も多いですが、社長となれば自分の人生をかけるほどの重圧を背負わせることになります。会社を継続し、今よりもいい形にしていくための術を考え抜いて、私の出した答えが、M&A(法人の合併・買収)でした」

会社を受け入れてくれそうな候補はいくつも挙がりましたが、最も重視したのは、社員を大切にしてくれること。
「私は意外と社員が好きなものですから(笑)。その上で、会社を形骸化させず、これまで築いてきた伝統や社風もうまく継承してもらえる企業......となれば『西部ガス』しかない、と思いました」
西部ガスの過去のM&Aの事例は吉川さんの理想の形であり、かつ地元や地域との結びつきも強い。ほかには考えられないという思いで交渉を進め。晴れて2019年2月にグループ傘下となりました。

組織変更の知らせに最初は戸惑った社員たちも、社長の想いを受け止めてくれ、また社外のお客様からもさらなる安心感を得られるようになったといいます。
「老舗や伝統と言われるモノや会社を継続していくことは大変なことです。残していくためには、攻めの姿勢を選択することも大切。そういう意味では、僕は自分がすべき当たり前のことをしたと思っています」
会社を愛し、社員を愛し、守っていきたい、という一心から選んだ道。吉川さんには、少しの迷いも後悔もありません。

そして次の時代へ。守るべきものと変わるもの。

変革を経て、ますます信頼される会社へ。今後の目標について尋ねると、小林さんは「ひとつひとつの仕事に気持ちを込めること。建物が完成して足場を解体する時は、いつも感動するんです。エンドユーザー(利用者)のことをしっかりと考えながら、その方々にとって快適な建物を造っていきたいです」と話してくれました。

取締役会長となった吉川さんの願いは今も変わらず、社員が健康で頑張ってくれること。
「私はリーマンショックをはじめ何度も大変な思いをしたせいか、これまでは売上の上昇や会社の拡大よりも、会社の維持、利益を最優先にしてきました。しかし、企業は本来右肩上がりであるべきです。これを機に、本来の企業の姿に戻して、西部ガスの子会社として恥ずかしくない会社になってほしいと思っています」
やさしい眼差しの奥にある、的確な判断力と深い愛情。吉川さんが数々の決断を経て育ててきたまちの工務店は、これからも地域と共に歴史を紡いでいきます。

株式会社 吉川工務店

〒810-0074 福岡県福岡市中央区大手門3-8-22
TEL:092-751-4161
HP:http://y-kou.co.jp/