2020.10.14
サッカーも仕事も"とことん"が信条。
聴覚障がいを個性に変えた、人生の軌跡
自分の頑張り次第で人生は変えられる。その事を身をもって教えてくれたのが、今回の主役・野間三夫さんです。ガス配管工事を主業とする西部ガスリアルライフ北九州株式会社で、内管工事士として働く三夫さん。生まれつき耳が聴こえにくいというハンデを持ちながら、JGA1級内管工事士の資格を手にし、20年以上のキャリアで活躍するプロフェッショナルです。また三夫さんには、サッカープレイヤーというもうひとつの顔もありました。大好きなサッカーを通じて得てきたという、生き方の指針を探っていきます。
どんなことでも明るく前向きに。それが笑顔を生む秘訣
「あがり症なんです」と言いながら、ひとつひとつの質問に一生懸命に答えてくれる野間三夫さん。時に見せる少年のような笑顔に、その素直な人柄が見て取れます。幼い頃に母親や周囲の強いサポートの甲斐あって、自らの口で話す術を身につけ、小学校からは普通校に入学。その後もずっと健常者と同じ環境で過ごしてきました。
とはいえ、学校生活ではやはり困難を感じることもあったとか。
「授業は補聴器をつけて受けていたので、だいたいは理解できました。でも先生が黒板側を向いてしまうと口元が見えないので、何を話しているのか分からなくなることも。そんな時は、周りの友人がよく助けてくれましたね」
難聴によるハンデを補うため、勉強は人一倍熱心に。支えてくれた友人たちに改めて感謝しながら、「楽しかった」と少年時代を振り返ります。
サッカーから学んだ、達成することの喜びと集中力
勉強と並行して夢中になったのが、サッカーでした。3つ年上の兄・竜也さんがサッカーをしていた影響で、自分もやってみたくなったのがきっかけ。パス遊びをしているうちに、その面白さにすっかり虜になったそうです。「何も考えず、無心になってボールを追いかけることができるのが何よりの魅力でした」。
もともと運動神経に恵まれていた三夫さんは、小学生からクラブチームに属してメキメキと実力を伸ばしていきます。常に目標を立てながら、それに向かって毎日欠かさず練習を重ねる日々。
「小学校4年生の頃、リフティング100回が初めて成功した時の感動は今でも覚えています。大きな達成感を味わえて、すごく嬉しかったんです」
達成感は次へのやる気を生み出します。いつの間にか三夫さんにとってサッカーは、人生を楽しむために掛け替えのない存在となっていきました。
また、試合の中でひときわ必要とされたのは集中力。補聴器によってホイッスルなどの音は聴き取れるものの、ほとんどは視覚を頼りに状況を察知しなければなりません。時には補聴器の電池が切れ、すべての音が遮断されることも。「そんな時は、みんなの動きが止まったのを見て、『あ、試合終了か』なんて判断していました(笑)」
サッカーに負けないくらい、真剣に向き合える仕事
熊本の専門学校を卒業後、地元の北九州に戻った三夫さんは、西部ガスリアルライフ北九州株式会社に入社します。同社は、都市ガスに関する業務をはじめ、ガス配管工事や暖房機器、コンロ、給湯器の販売、住宅リフォームなど、暮らしを幅広くサポートする企業。その中で内管工事士として働くきっかけを作ってくれたのも、サッカーと同じく兄の竜也さんでした。今回のインタビューにも同席してくださった竜也さんは、こう話します。
「私が先に弊社に勤めていたのですが、三夫は手に職をつけることが大事だと考えて、この仕事を勧めました。ただ、ガス配管の設営は高い場所での作業もあり、常に危険と隣り合わせです。耳が不自由だとなおさらなので、最初の頃は『ちゃんと仕事を覚えろ!』としつこいくらいに言っていましたね」
プロとして覚える仕事は山ほど。最初は大変でキツイと感じていた三夫さんでしたが、ここでも真面目で負けず嫌いな性格を発揮し、一生懸命仕事に打ち込みます。他の人より時間はかかりながらも、知識や技術を着実に身につけ、次第に「安心して仕事を任せられる」と頼られる存在に成長しました。
世界の舞台に立つという夢を追いかけて
仕事を始めて間もなくの22歳の頃、三夫さんは、「デフサッカー」の存在を初めて耳にします。それは聴覚障がい者によるサッカーリーグ。オリンピックやワールドカップと同じように、日本代表として世界の舞台で戦うチャンスがあることを知り、次なる目標をそこに定めることにしました。ちなみに、デフサッカーでのコミュニケーションは手話。初めて手話を学んだのもこの時です。
もちろん仕事との両立が前提なので、業務を終えてからトレーニングに向かい、休みの日は終日サッカーに費やしました。「会社の仲間も、頑張れと言ってくれてありがたかった。両立で大変だと思ったことはないのですが、もしケガをしたら仕事に迷惑がかかるので、それだけは気をつけていました」
デフサッカーでもすぐに頭角を現し、日本代表として九州で初めての選手に選ばれます。その後もアジア大会などを経て、2005年、ついにオーストラリアのメルボルンで開催されたデフリンピックに初出場。夢が叶った瞬間でした。
サッカーで仕事に穴は開けないというポリシーがあるものの、海外試合では長期休暇を申請せざるを得ません。会社にそのことを伝えると、当時の北九州支社長をはじめ会社のみんなが、支援を募ってくれたのだそう。
「デフサッカーをはじめ障がい者の競技は知名度が低いので、スポンサーがいないことが多いんです。だから大会出場も自己負担がほとんどでした。そんな中で、周囲に協力を呼び掛けて資金面でのサポートや声援をくださったこと、本当にありがたかったし、感謝しきれません。いい職場に巡り合えました」
サッカーも仕事も、そして家族も。生涯大切にしていきたい
ろうあ者日本代表の引退を決めたのは34歳の時でした。「体力が落ちてきた」というのが理由ですが、41歳になった今でも、社会人サッカー県リーグの3チームに属してプレーを続けています。
「今は、とにかく楽しみながらやっています。できれば三浦知良選手みたいに、可能な限りずっとサッカーを続けていたい。それと娘が2人いるのですが、彼女たちにサッカーを教えて『なでしこジャパン』の選手になってもらうのが夢ですね(笑)」
仕事では初心を忘れず、とにかく安全に工事を終えることを何より大切にしているそう。 「真っ直ぐに向き合うこと。努力を怠らないこと。そして、楽しむこと」。サッカーから学んだ教訓は、仕事にもあてはまります。「西部ガス北九州リアルライフ株式会社の社員として、これからも誠実にお客様に対応していきたい」と、最高の笑顔を見せてくれました。
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